2020年8月11日火曜日

「こだわるということ」 2年 高橋祥太郎



「こだわるということ」
経営学部 2年 高橋祥太郎(中京大中京高校)


こんにちは。
今回、部員ブログを担当させて頂きます。経営学部2年の髙橋祥太郎です。

まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、医療従事者を始めとする私たちの生活を支えてくださっている方々に深く御礼申し上げます。

私が明治大学体育会サッカー部に入部して、早くも1年が経過しました。
今回は私が入部してから感じてきたことを書いていきたいと思います。
最後まで読んでいただけると幸いです。

私は、この明治大学体育会サッカー部の部員として活動してきて、常々実感していることがあります。
それは「こだわる」ということの奥深さについてです。

明治大学体育会サッカー部に所属していると、至る所でこの「こだわる」という言葉を耳にします。シュートで、パスで、クロスで私たちは「こだわれ」と言い、又言われます。しかしながらこの「こだわる」というのは口で言うほど簡単なものではありません。それは「こだわる」という言葉を突き詰めれば突き詰めるほど難しいものだと私は思います。
例えば、クロスを失敗した時にかけられる「こだわれ」とは単に精度を上げろと言う意味ではありません。もちろんそういった意味も含みますが、この「こだわれ」とは精度だけではなくクロスのボールが描く軌道、回転、スピードなど細部にまでこだわる、もっといえばイメージ、狙いを持てと言う意味なのです。同じ位置に来るボールでもスピードや軌道により状況は一変します。「こだわれ」とは、狙ったところにボールが行き、点が入ったからOKではなく、どのようなボールを出すか、細部にまでこだわった狙いを持ってプレイをしろと言う意味なのです。

「こだわる」というのはすべての場面に当てはまります。走るフォーム、止まり方、足運びに姿勢、果ては普段の言葉遣いにまで「こだわる」。詰まる所こだわって生きる、自分の一挙手一投足にまで注意を払うということなのだと思います。自分の行動について注意を払えば、より深く考え、責任ある行動に繋がります。これが、明治大学体育会サッカー部が強くあり続けられる理由なのだと思います。

「こだわる」ということは難しいです。少し気を抜けば人は考えることを辞めてしまうのだと思います。私自身こだわり切れていないということが多々あります。
私は自身を積み重ねが得意な人間だと思っていました。トレーニングも生活もいつまでも実直に行い続けるのが自分の長所だと考えていました。しかし、実はそれはただこなしているだけだったのだと思います。自分は練習の中で本数や回数にとらわれ、「こなす」ことになっていました。「こだわる」とは常に考えるということです。「こなす」とは対極に位置します。私は自分の生活を習慣化することで「こだわり」、考えることが薄れてしまっていました。現在、私は「こだわる」ということを徹底し、今までの習慣化してしまっていた「こなす」を徹底的に見つめ直しています。
この「こだわり」の先に明治のTOPが存在するのだと信じ、これからの活動も続けて行きたいと思います。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも明治大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願い致します。

次回の2年生の部員ブログ担当は、ルーテル学院高校出身のレフティー、徳永敦優です。
左足からの放たれる正確なロングボールが武器の選手です。
きっと九州男児の熱いブログを書いてくれることでしょう。
是非、次回もご覧ください。

【過去の記事】

「日々の進化」 1年 高橋祥太郎

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