2020年10月20日火曜日

「人間万事塞翁が馬」 2年 森喜紀


「人間万事塞翁が馬」

政治経済学部2年 森喜紀 (埼玉県立浦和西高校)


こんにちは。

今回部員ブログを担当させていただきます政治経済学部経済学科2年の森喜紀です。



まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、医療現場の最前線で対処をしている医療従事者を始めとする関係者の方々、関東大学サッカーリーグ開催にあたり尽力頂いている全ての皆様に、心から感謝申し上げます。


さて、今年も残すところあと1ヶ月半となりました。私が明治大学体育会サッカー部に入部してから早いもので2年目が終わろうとしています。今思うこと、自分のことについて少し話したいと思います。

「人間万事塞翁が馬」

これは私が好きな言葉の一つです。皆さんも一度は聞いたことがある言葉かもしれません。タイトルでもあるので少し紹介したいと思います。


この言葉は故事成語です。由来は、中国前漢時代、国境の砦付近に住む老爺が馬を飼っていました。

その馬が、ある日逃げ出してしまい、近所の人々は老爺のところに慰めに来ました。しかし、その老爺は「この災難が幸福になるかもしれないよ」と言いました。すると、逃げた馬が野生の駿馬を連れて帰って来たのです。

近所の人々が老爺のところにお祝いに来たところ、今度は「この幸福が災難になるかもしれないよ」と言いました。すると、その野生の馬に乗っていた息子が落馬をし、骨折をしてしまいました。

近所の人々がお見舞いしに来たところ、老爺はまた「この災難が幸福になるかもしれないよ」と言いました。するとその後、暮らしている地域でも戦が始まり、若者は駆り出されることになりました。しかし、足を怪我していた息子は、その戦の徴兵を免れました。


何が言いたいかというと、人生の幸、不幸は誰にも分からないということです。その時の状況や変化に一喜一憂することなく、その後に起こ得ることも考え、行動することがとても大事です。正直、この物語の中で老爺は一般的に、もしくはは近所の人々からしたら、少し捻くれ者かもしれません。しかし、冷静に物事を判断し何事にも動じないその態度は自分に欠けているところでもあり、学ばなければならないところでもあると思います。

この言葉は、中学生の時に母が教えてくれました。母は国語の教師をしています。勉強が嫌いだった私は、よく母に怒られていました。それでもサッカーの試合には、仕事が忙しくても見に来てくれ、応援してくれました。昔から怪我が多く、心配ばかりかけていたし、悔しい思いもたくさんしてきました。そんな時に、この言葉に何度も救われたのを覚えています。大学でも怪我が多く、今年の6月にも左足腓骨骨折をしてしまい、約3週間入院をし、ようやくリハビリから復帰するところです。今思うと、怪我の後には必ず良いことが後に待っていました。そしていつも、自分のこととこの言葉をどこか照らし合わせて考えてしまいます。

この明治大学体育会サッカー部という誇りと伝統のある部の一員でいられること自体が幸福であると思います。

「こんなにチャンスがあるところはないし、それを掴むも逃すも自分次第、余計なプライドなど捨てた方がいい。自分と向き合い、自分を信じ、毎日毎日考え、追求すること。その覚悟とブレない心があれば自ずと成長する。」

だからこそ、プロに行っても即戦力になれるし、社会人になっても信頼されると思います。他人と比較することは時には大事であるが、自分の成長曲線は自分にしか描けないし、その軌道は人それぞれである。しかし、その軌道を上へ上へと伸ばせるかは自分次第だと思う。緩やかではなく急激な成長も必要である。その為には、自分の夢や目標をもっともっと貪欲に追い続けること。


来年はもう上級生です。

「明治での残りの日々も長いようで短い。立ち止まっている暇など無い。」

より一層の覚悟と自覚を持って取り組んでいきたいと思います。

この災難もいつかは幸福になると信じて頑張り続けるだけです。


拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

今後とも、明治大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いします。


次の2年生部員ブログの担当は、浜松開誠館高校出身の山田梨功です。

空中戦の強さとリーチを生かしたディフェンス力、正確なロングフィールドを駆使する闘志溢れるディフェンスリーダーです!

次回の部員ブログもお楽しみに!

【過去の記事】

「矢印の向き」 1年 森喜紀

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